うるとらんぷす

「チェルシー」という単語に対する反応が人より2.7倍速いチェルサポによる備忘録。

~Telegraph|古狸モウリーニョ~

モウ①

Telegraphにてモウリーニョのインタブーが掲載されていたので、日本語におこしてみます。個よりも組織を重んじるモウリーニョの哲学、飢餓撲滅プログラムの話、家族の話などなど盛りだくさんです。元記事はこちら。



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 にはある問題があってね。困ったことに、この仕事に関する全てのことにおいて、日々向上しているんだ。
様々 な面において成長した。特に、試合をどう読むか、どうやって試合に備えていくか、どう練習を組み立てていくかにおいてね。常に成長していると感じている。 だが、ただ一点において、これだけは変えることができないと思うことがある。それは、メディアを前にしたら、私は決して猫をかぶることなどできない とい うことだ。」


 統計を見ても、モウリーニョは世界中で最も成功したクラブの監督と言える。指揮した4つの国(故郷であるポルトガル、イタリア、スペイン、イン グランド)においてそれぞれリーグタイトルを獲得している。CLも2度制した。しかしながら、これらはモウリーニョという人間を形成する半分の要素でしか ない。彼のもう半分の要素、それは"和を乱す監督"であるということ。彼ほどライバルチームのファンの心を逆撫でするのに長けた監督はいないだろう。レ フェリーやFAに文句を垂れ、プレスカンファレンスを強制終了させ、タッチラインではふくれっ面を見せる。フットボールのことは一切忘れて、ただモウリー ニョの一挙手一投足に注目する。それだけでひとつのスペクタキュラーなスポーツと化してしまう。

 ロンドン南部に佇む洞窟のようなスタジオで、モウリーニョはカジュアルなスポーツウェアを身に纏い、ジャガーのスポーツカーに乗ったりしなが ら、2時間ほど写真撮影に臨んだ。彼はスタイリッシュではあるが、彼自身、服装にはあまり興味がないと言うように、ファッションに関してはオシャレよりも 着心地を優先する断固とした保守派だ。タンスの中は落ち着いた黒やグレイ、暗めの青い服が占める。決して柑橘系の色をしたセーターを着るようなタイプでは ない。それでも彼は、言われるがままに、余計に笑うことも、しかめっ面をするでもなく、まさに"モウリーニョらしい"表情を見せた。隣接するスタジオで別 のプロモーションの仕事をしていたドログバがぶらりと立ち寄り、フォトボム(=写真にこっそり映りこむこと)をされても、それはそれは変わらなかった。

 フォトセッションを終えて、皆でラップトップのPCを囲み写真を確認していたとき、皆の目は全てモウリーニョに注がれていた。どんな反応をするのか-。 「悪くないね」 と彼は言う。"悪くない"?それは素晴らしいということを意味しているのか、それとも酷い出来だというのか、ただシンプルに彼は言う。「悪くない」と。その真相を知る術はない。

 英国人とポルトガル人、2人のエージェントとともにソファに腰をかける。彼の目の前のテーブルにいくつかのケーキやサンドイッチ、そして水が置かれた。これに手をつけることはなかった。

モウ②

 モウリーニョは午前中をコバムにあるチェルシーの練習場で過ごした。すっかり毎日の習慣だ。だいたいAM7:30頃に練習場に着き、オフィスに入りドアに鍵をかける。そこで2時間ほど時を過ごす。「ひとりになる時間が必要なんだ」と彼は言う。

フットボールの世界では、私はまだ老いてはいない。今は52歳だが、あと20年ほど監督としていられるだろう。でも既に..."古狸(= 老獪なひと、経験を積んで悪賢さを身につけた人)"とでも言おうか。恐れを抱くことはないし、何に対しても心配をすることがなくなった。もうほとんど経験 し尽くした、そのように感じるんだ。感情に対しても非常に、非常に安定してコントロールをすることができるようになった。それでも依然として、ゆっくりと 自分だけの時間をもつことは必要だ。深夜まで選手の怪我を心配したり、あるいはある試合にむけた戦術を考えて眠りにつけなくなるなんてことはない。熟考 し、起こり得る問題を前もって計算する。そういう時間は必要だ。」

 モウリーニョの父 -(もまたジョゼだが)- はゴールキー パーだった。コーチになる前に、ポルトガル代表としても1試合出場している。若い頃の父はモウリーニョをよく試合に連れていき、選手への指示を伝達させる といったこともさせていた。そんな過去もあり、モウリーニョはプロの選手になった。だが、ディフェンダーとしてお世辞にも華やかとは言えないキャリアをポ ルトガルの2部で過ごすと、コーチとしての道を歩むことを決心した。そして、リスボンのTechnical Universityに進学。スポーツ・サイエンスを学び、教師となった。

 モウリーニョの初めての仕事は、ダウン症を患い深刻な精神病を抱えた子どもたちの教師となることだった。「大きな挑戦だった」と彼は言う。「私 には彼らの助けとなるだけの技術も備わっていなかったし、そんな段階にはいなかった。それでも何とかやっていけたのは、ただひとつのことがあったから。そ れは心と心の関係だ。愛情、心に触れること、そして心を共有すること、これらがあったからこそ出来た。ある子は階段を登ることさえできなかった。またある 子は、簡単な体の動きさえ行うことができなかった。色々な問題がそれぞれにある中で上手くやっていけたのは、全て心を彼らと共有することができたからなん だ。」

 「その後は16歳の子どもたちを教えていた。今となっては世界で最高レベルの選手たちを教えているが、重要なのは技術的に長けているか じゃない。最も重要なのは、関わる人たちと築き上げる関係なんだ。もちろん、知識は必要だ。物事を分析する能力だって求められる。でも、全てのことの核と なるのは、関係であり、心の共有だ。それも個人単位のものじゃない。チーム全体でのことだ。そしてチームにおいて心を共有するには、必ず何かを犠牲にして 捨てる必要がある。だからこれは決して一人ひとりと完璧な関係を築いて達成されるものではないんだ。チーム全体との完璧な関係を築けるかどうか。戦うのは 個人ではなくてチームであって、試合に勝つのも個人ではなく、チームなんだからね。」

 -"チーム"-。モウリーニョが話すときに、いつもこの言葉で終結する。どうやって一つひとつのタレントをチームとしての目的達成に繋げていくか。ほとんどのサポーターよりも高い給料を貰っている、21歳にも満たない選手たちの士気をどう高めていくか。「隠しようもない事実だ!」モウリーニョの声が高まる。「かつて選手たちは、引退する頃にはきっと裕福になっているだろうと期待してフットボールの世界に飛び込んでいった。それが今や、選手たちはデビュー戦に出る頃にはきっと裕福になっているだろうと思ってこの世界に入ってくる。」

モウ③

 フットボールの世界では、他の全てのことと同様に、選手たちのセレブ化が止まない。それが何よりも示されるのはFIFAバロンドールだ。年間の 最優秀選手に贈られるこの賞で、世界の名だたる選手たちはアカデミー賞にも匹敵する華やかさをもって持てはやされる。モウリーニョ、そしてアーセナルの監 督アーセン・ヴェンゲルもこれには同じ意見を持っているようだ。彼らふたりが同じ意見を持つなんてことはそうそうにないのだが。

 「私は、ヴェンゲルは興味深いことを言ってくれたと思うね。彼はバロンドールに反対だそうだ。私もそう思う。なぜなら現代のフットボール はチームとしてのコンセプトを見失い、個人に焦点を当てているからだ。いつだって個人のパフォーマンスやスタッツだけを見て、走った距離を比較している。 ある試合において、私が9km走って君が11kmを走ったとしよう。と、するならば、11km走った君のほうが良い仕事をしたと言えるのかい?恐らくそう ではないだろう。きっと私の走った9kmの方が意味があったと思うね(笑)」

 「私にとって、フットボールは団体競技なんだ。組織の質を上げるためであれば、質の高い個人は大歓迎だ。だが、その選手は組織のために働 く必要がある。組織がその選手のために働くんじゃない。トッププレーヤーがチームに来るとき、それはもうチームが組織として完成している時だ。まるでコロ ンブスがアメリカ大陸を発見したときのように、トッププレーヤーがチームを発見し、組織だてるわけじゃない。監督として、このことは毎日のようにチームに 伝える必要がある。それは決してレクチャーや言葉によって伝えるんじゃない。監督自身が選手たちにどう振舞うか、選手一人ひとりとどう心の共有をするかに よって伝えていくものなんだ。」

 「監督が選手に与えることのできない唯一のもの、それは才能だ。才能を持った選手を正しく扱い、チームの必要を理解させることができる か、その選手は賢明で、監督の助言に対してオープンな心を持っているか、それともただの利己的な選手か。これまで指揮したどのクラブにおいても、このよう に多岐にわたる才能を持った選手たちと出会ってきた。完璧な組織は存在しないが、もし選手にとって何が最も重要かと訊かれたら、私は才能だと答える。」

モウ④

 しばしば、これはファンにとってみれば苛立ち、そして不快の種かもしれない。夢見る若いフットボーラーたちはお金や時間、様々なことを浪費しているかもしれないからだ。

 「気持ちはわかる。」モウリーニョは頷く。「ある選手のことを思い出す。名前は明かさないが、ある時私は彼にファースト チームでプレーする機会を与えたんだ。でも彼が試合に出た数週間後にその父は職を捨てた。次いで、その母も。両親は彼のために生活を変え、決断したんだ。 それくらい、選手としてやっていくのは本当に難しいことなんだよ。」

 その選手はどうなったのか?モウリーニョの肩をすくめた仕草が、その選手にとっての夢がすぐに潰えたことを意味していた。

 「これは1000あるうちの一例にすぎない。選手たちは両親に恵まれていなければいけないし、良い代理人にも巡り会わなければいけない。 教養だって必要だ。ある時のことだ。とある選手が新車を携えてやってきた。彼に『また買ったのか?なぜ?家持っていたっけか?』と訊いた。『いいや』彼は 答えた。『銀行に貯金でもあったのか?』と訊くと、『違うよ。これは父親がリース(賃借)で買ったやつで、オレはその書類にサインしただけだ』と言うんだ よ。『リースの意味、知ってるのか?』『無料ってことだろ?』『違う!』そこに座らせて、リースが一体何なのか彼に説明してやった。彼は知らなかったんだ よ。誰にも教えられてきていなかったから。」

 「私が本当の意味で稼いだ、つまり大金を手にしたのは、2003年にポルトと契約更新をした時だ。当時30いくつかだった。既に結婚していた。だから準備はできていた。でも、今の彼らは16や17、19や20だ。その大金を持って何をすべきかさえ分かっていない。」

 「チェルシーにはPlayers Support and Welfare(直訳して「選手福祉援助」)という素晴らしいセンターがある。選手たちをサポートしてくれるんだ。収入について説明ができる銀行の人間が いるし、家を買いたいとなればちゃんとした不動産で適切な契約ができるように指導してくれる。ファーストチームに昇格する若い選手たちが車を新調する必要 はない。Audiとスポンサー契約を結んでいて、選手たちに調達されるからね。」
 
 すると、若い選手たちの父親のような面も持ち合わせている?

 「それが仕事だからね!」

モウ⑤

 モウリーニョと妻マチルダは10代の頃から恋人関係にあり、セトゥーバルという町でお互い育ってきた。結婚して26年。マチルダとジョゼという名前がつけられた2人の子どもがいる。

 モウリーニョの監督としてのキャリアは2000年、スポルティング・リスボンポルト、そしてバルセロナで通訳としてボビー・ロブソンの下で経 験を積んだのちにベンフィカでスタートした。クラブ会長との衝突から、わずか3ヶ月でベンフィカを去ると、ウニオン・ジ・レイリア、ポルトと渡った。ポル トで彼は2度リーグを制し、UEFAカップ、さらには2004年、CL優勝を手にした。これがチェルシーの第一次政権に繋がり、04/05、05/06と 2年連続でプレミアリーグを制覇。続いてFA杯を獲り、リーグカップのタイトルを2度獲得した。インテルの監督としてはセリエAを2度制し、自身2回目と なるCL優勝を経験した。2010年になるとレアル・マドリーの監督の座に就き、コパ・デル・レイ優勝、ラ・リーガを2年連続で制した。2013年の6 月、チェルシーに帰還。

モウ⑥

 彼は最も近しい友人として、ベンフィカ監督就任初日にアシスタント・コーチとして雇われ、以降どのクラブでもモウリーニョの隣に座るルイ・ファリアの名前を挙げた。「ル イはよくこんなことを言っていた。『常勝のフットボール監督になれたら、この世界で一番の人生になるんだろうな』 確かにそうだ。そうありたいね。でもこ の国では試合数が多すぎて、いちいち一喜一憂などしていられなくなる。3-5で負けた日があったとて、次の日にはトレーニング・セッションが待ってるん だ。そして2日か3日のうちにまた次の試合がくる。感情をなんとか表に出さないようにしてやっていくしかない。勝利と敗北の狭間を生きていくしかないんだ よ。」

 「監督は別にクラブにとって最重要人物じゃない。そんなわけはないんだ。言い続けているが、クラブにとって最も重要なのは第一にサポー ター、次にオーナー、次に選手たち、そしてようやく私がくる。でも周りの視線の先にはいつだって監督がある。選手たちは監督のことを見て分析しようとする んだ。どんな反応をしているか、とね。クラブで働くスタッフも監督のことをよく見ている。サポーターだって監督に目を凝らしているんだ。そうやって、負け た後にはこれからの準備が整っているか、勝った日には浮ついていないで地に足ついているかをちゃんと見ている。私はこのことにおいては、非常に長けた存在 だと思うね。周囲をネガティブにもさせず、かえって過度にポジティブにもさせない。ただ、ホームの試合においては別だ。彼らは私のことを知りすぎていて、 隠そうと思っていてもバレてしまう。もう私は彼らの手中の中にあるよ。」

モウ⑦

 モウリーニョは礼儀ある文化人だ。ポルトガルで愛されている詩人、フェルナンド・ペッソーアを心から慕っている。彼との会話には、思慮に富んで いて、親切で包容力のあるその人格を感じることができる。淡々と言葉を並べる試合後のプレスカンファレスの姿とはまるで別人だ。最近ピッチ外で起きた興味 深い出来事は何かと尋ねると、World Food Programme Ambassador Against Hunger(=世界飢餓撲滅プログラムアンバサダー)としてコートジボワールを訪れたときの話をしてくれた。

 「既に家族には話したが、この経験は私にとって素晴らしいものとなっているんだ。貧困について、私たちはある程度において理解はしている だろう。でもその現実と直接的に関わるというのは素晴らしいことだ。非常に向き合ううえで難しい問題ではあるが、この事業促進に携われるというのは大きな 大きな誇りだよ。」(※↓記事本文には掲載されてはいないものの、モウリーニョが話していたプログラムの動画を見つけたので良かったら是非)



 モウリーニョ夫妻はまた、故郷セトゥーバルにおいても食に関する支援活動を行っている。

 「この活動をしているのは、この問題の認知度を上げるためでも、自分たちの好感度をあげるためでもない。これは息子と娘に、この家族がどれだけ恵まれているか、そしてどれだけ他の人が助けを必要としているかを分かってもらいたくてやっていることなんだ。」

モウ⑧

 彼は信仰的な男だ(※モウリーニョは敬虔なカトリック教徒)。「私は神様を信じているし、毎日欠かさず祈り、神様と会話をするんだ。毎週教会に通うことはできないが、行くべきだと感じたときには足を運ぶ。ポルトガルに居る時はいつも行くよ。」

 一体どんなことについて祈るのだろうか?

 「家族のためだよ!子どもたち、妻、私の両親のため。幸せと健康な人生があるようにとね。ひとつ言えるのは、フットボールのことを神様と話すために教会に行くことは絶対に無いということだ。絶対にね!」

 フットボールと家庭の営みを区別するように努めている、と彼は言う。妻とフットボールの議論をすることは決してないそうだ。「彼女の土俵 ではないからね。私は私の好きなクラブに行くし、私が楽しめると思うところに行くし、私が一緒に仕事をしたいと思う人たちと共に働く。だが、(公私の区別 は)難しいよ。私がフットボールのことを家庭に持ち込むまいとしても、家族がそうはさせない時があるからね。重要な試合で負けたとき、私は明日は明日の風 が吹く、ただの1試合じゃないかと自分に言い聞かせて笑顔で家に帰る。すると、私が笑顔でも彼らは悲しい顔をして私を迎えるんだ!」

モウ⑨

 そんなロンドンでの生活において、彼は道を歩けば5分もしないうちにチェルシートッテナムアーセナル、ひいてはリバプールのサポーターを目にするという。

 「そんな光景が私は好きだ。これまで渡ってきた国では、外に出れば自分のクラブのファンばかりがいた。ミラノでは、50%がインテル、 50%がAC(ミラン)だった。マドリードでは恐らく70%がレアルで、30%がアトレティコポルトでは100%がポルトファンだったね。もし誰かが私 のところに歩いてきて何か話しても、私はそれを聞き入れるよ。もちろんフットボールの講義を聞かされるのはゴメンだけどね!」

 「ロンドンの人たちはその面で、介入する境界線を理解していると思う。彼らは誰しもが時には一息つくために尊重されるべきであるという考 えを持っているからね。プライベートに介入されたと感じることがあっても、大抵それは英国人ではないことがほとんどだ。レストランで私を見かけても、もち ろんサインやセルフィーを頼まれることはあるが、彼らは私が食事を終えるまで待ってくれる。お店に行ってもそうだ。靴下を選んでいるときは話しかけてきた りはしてこないよ。街中を歩いているときも、リスペクトを感じることができる。マドリードやミラノでは、こうは行かないね。」

モウ⑩

 モウリーニョ曰く、英国フットボールには彼の親しい友人はいない。

 「何人か、お互いのことをリスペクトして話したりする仲の人はいるが、そこまで親しいかと言われればそうでもない。」


 だがひとり、彼の尽きない敬意が注がれる人物がいる-。サー・アレックス・ファーガソンだ。この2人は2004年に初めて顔を合わせた。ポルトマンチェスター・ユナイテッドをCL敗退に追いやった時のことだ。

 「あの時、偉大な男の2つの顔を見ることができた。1つの顔は、コンペティターとしての顔。あらゆる手を尽くして勝とうとするコンペティ ターだ。もうひとつの顔は、心に確固たる信念を持った男としての顔だ。その信念とは、相手へのリスペクト、そしてフェアプレーを欠かさないということ。こ の2つの顔を私は一度に見た。その影響は大きかったね。」

 「私がそれまで持っていたフットボールの文化、そしてポルトガル、ラテンフットボールの文化には2つめの信念はなかったね。フットボール は勝つためにあるもので、もし勝てなかったら、相手へのリスペクト、フェアプレーといった考えは消し去られていた。だがCLでユナイテッドを下した時に、 監督のその美しい顔を見ることができたんだ。今でも私はその顔を持つように心がけている。」

 確かに彼の象徴として挙げられる顔は、自身が"心がけている"その顔とは相対するものかもしれない。しばしば、人びとはモウリーニョのことを"Machiavelli"(=マキアベリ主義者、策謀家のこと)と表現する。

「私は自分でそのようには思わないがね。もちろん、マキアベリの意味は知っているよ。確かにいくつかの発言にはそういった面が含まれているかもしれないね。でもそれだけだ。それ以上自分にそういった要素があるとは思わない。」

モウ⑪

 フットボールの監督はみな、文句を言いたがる。不可解な判定に関して、"あれは確実にPKだ"、"あれは100%PKではない"、"我々はアン ラッキーだった"と言う。だが、モウリーニョはその愚痴でさえも、ひとつのアートへと変えてしまった。レフェリーのみならず、世界中が彼に敵対する。こう して、彼の率いるチームには自然と"負け犬精神"が染み込まれる。プレスカンファレンスにおいて、または彼が支配する場において、その感情を隠さんとする コメントは、まるで相手チームやフットボール協会、記者、その誰かしらに矛先を向けたがっているような印象を受ける。

 ファーガソンの薫陶を受けてんだよ。」と、ある熟練の記者が私に言った。「ジョゼがやけに親切になったと感じたら、それはその人たちのことを脅威とは感じていない証拠だ。」

 そのことを本人に告げると、彼は機嫌を損ねたように答えた。「そんなことはないさ!その人が称賛を受けるにふさわしいと思えば、私は惜しみなく称賛を贈るよ。他のチームの監督や選手。特に敗戦後は"ファンタスティックなレフェリーだった"というのが大好きだ。」

 それを聞いて、私は、彼は周囲から大きく誤解をされているんじゃないかと思った。彼は、ポーカーフェイスを備えた偉大なコメディアンのひとりなんじゃないかと。

 モウリーニョは私を見た。何も言葉を発しない。それでも、かつてないほどにゆっくりと、その表情が笑顔へと変わっていった。
 
 
Interview by Mick Brown